衆議院議員渡辺 創

プロフィール

幼少期

宮崎市の生まれ育ち。1977(昭和52)年10月生まれのてんびん座・AB型です。
一人っ子でしたが、両親や祖父母、曾祖父母などたくさんの大人の中で育ちました。子どもの時から議論好きで、大人ばかりの中で挙手をして、発言機会を求めていたとの笑い話も。

小・中学校時代

地元の花ヶ島幼稚園から市立東大宮小・東大宮中と過ごした子供時代。
小学生の頃は、一人っ子らしく競争が苦手。子ども同士でお菓子を取り合うような場面では諦めよく、すぐに戦線離脱する大人しさ。3年生からはソフトボールの日々でした。上手ではありませんでしたが、仲間に恵まれ6年生では九州大会にも出場しました。

中学校は、入学と同時になぜか学級委員長に指名され、その流れで1年生後半からずっと生徒会役員。振り返れば、この時が「選挙」の始まり。2~3年生は生徒会長を務め、みんなで開校10周年行事などに取り組んだのは懐かしい思い出です。
もう一つ打ち込んだのが、部活のバスケットボール。バルセロナ五輪の米ドリームチームが注目され、衛星放送でNBAが観られるようになった頃でした。

高校時代

高校は、県立宮崎北高校に進学するも腰の手術・入院で通えなくなり、1年生途中で中退。生き方を思い悩んだ青春の挫折・・・。1年遅れて単位制の県立宮崎東高校に再入学。しばらくは入院や治療を続けながらの日々でしたが、体調が回復し自らの歩みを取り戻した合計4年間のちょっと風変わりな高校生活。チャンスをもらい、弁論や論文活動にも励みました。

大学時代

卒業後は、宮崎から遠く離れた新潟大学法学部に進学。初めての一人暮らし、際限のない自由な時間、そして社会の構成員としての責任・・・充実した4年間を過ごしました。政治学を学び、フィールドワークと称して思いつくまま各地を訪れる日々。野球サークルでは選手としてよりチーム運営に興味を持ち、新聞連載を行う学生サークルを立ち上げ、学生編集長として卒業前には連載をまとめた本を出版しました。

記者時代

「私なりの社会貢献のあり方」を模索した就職活動は、新聞社中心にマスコミ一本でした。毎日新聞社に入社。初任地・横浜支局では、大半を事件事故を担当する県警クラブに所属し、まさに夜討ち朝駆け・抜き抜かれの生活。この頃の話はたくさんの失敗談を中心に枚挙に暇がありません。
初めて臨場した児童3人が焼死した公営住宅火災、小説『空飛ぶタイヤ』のモデルで大企業の構造的不正発覚につながる大型トラック脱輪死亡事故、3カ月に渡った暴走族取材、人間模様に思い巡らせた沢山の事件・・・。横浜市政担当時の米軍基地返還問題や、甲子園準決勝まで同行した1年目の高校野球取材など忘れることのできない取材がいっぱいです。
私生活では、大学の後輩だった妻と結婚し、長女は横浜で生まれました。

東京本社政治部へ異動すると、時は小泉政権の絶頂期。官邸の総理番からスタートし、官房副長官番(事務)、内閣府担当、教育再生会議担当、自民党幹事長番などを経て、2007年の参院選直後から民主党担当へ。小沢一郎氏や藤井裕久氏の担当を2年半ほど務め、2009年の政権交代前後を取材しました。少し変わった担務で、永田町にとどまらず選挙取材の名目で日本中を歩き、全都道府県に足を踏み入れました。この時の経験が自らが担い手として政治を志すきっかけになったのかもしれません。
長男は東京で誕生。まだ「働き方改革」の言葉もなかった時代、自宅滞在時間は毎日5時間という生活でまさに妻の「ワンオペ育児」が続きました。一時は担当記者として少子化対策・子育て支援の記事を書きながら、自らの生活には大きな矛盾もありました。

県議時代

「社会との関わり方をより直接的に」と政治家への転身を決意したのは2009年末でした。毎日新聞社を退職・帰郷し、2010年参院選宮崎選挙区に県内参院選では初の民主党公認で挑戦するも17万8854票で次点。たくさんの方々の後押しがあり、翌2011年県議選宮崎選挙区に初当選。その後2015年、2019年と3期連続当選を果たしました。
この間、民主党(民進党への党名変更あり)県連幹事長代理、同幹事長を務めたほか、2018年2月から立憲民主党県連代表。活動は全国にも拡がり、同党全国自治体議員団幹事長も2020年8月まで経験しました。県議会では、3度の文教警察企業常任委員長のほか県監査委員、会派「県民連合宮崎」の幹事長を務めました。

現在

2020年2月に多くの方々の声を受けて衆議院選挙への挑戦を決意。1年半を超える活動を経て、2021年10月の第49回衆議院選挙(宮崎1区)で、1,070票差の接戦を制し、小選挙区で初当選を果たしました。
衆議院の予算委員会、農林水産委員会、災害対策特別委員会に所属し、論戦を通じて国民の「納得」を築いていきたいと日々、奮闘しています。また、党の役職として、組織委員会副委員長、災害・緊急事態局事務局長、つながる本部事務局長などを拝命し、様々な業務に携わっています。
国会開会中は、平日は東京、週末は宮崎、と往復する日々。一つ一つ丁寧に、皆さんからの評価をいただけるよう取り組んでいます。

もっぱら仕事をしていれば、満足するタイプですが、趣味は、読書と旅行、(なかなか行けませんが)スポーツ観戦。出張も含め旅先で車窓の風景を眺めながら、思いを巡らす時間が大好きです。宮崎市東大宮在住で、子どもたちは市内の学校に通っています。